傷心と分離

生まれた時は誰もみな、曇りなく、ただ光り輝く幸せな存在だったのだと思います。

しかしできないことや叶わないことなどに直面して制限を知り、悲しみや怖れとか幸せではない感情を覚え、人間になって行くんだろうな思います。

アダムとイブが知識を得て楽園から出るというのは、素っ裸でも気にならない赤ちゃんがいろんな知識を得て人間になることの隠喩なのだと私は想像しています。

成長に伴い境界も生まれていきます。生まれたばかりの時は区別ができず、全てが融合した世界です。次第にいろんなものを見分けられるようになると、自分と親は違う存在だと気づきます。スピリチュアル的には天国のワンネスからそうでない人間の世界へと移行します。

人間の成長は傷心と分離から始まるのかもしれません。そして分離の初期段階に体験した傷心で考え方の癖が形成されていくのではないかと想像しています。

私の場合、親と自分が違う存在だと認識して「私」が始まった時、世界の自分以外の存在(父母や祖父母)をカップルと認識したらしく、自分はパートナーがいない存在だというのが最初の自己認識だったのかなと想像します。なんてませた子でしょう。その記憶はないのですが、「私はいつも一人なんだよね」という考え方の癖からそう推定できます。

そんな背景で根強い孤独癖があるのですが、これは私が人生で体験したいことであり、この人生で学びたいレッスンだったのだと思います。

どうしても離れない考え方の癖や苦痛というのは、多くが過去の再放送を見ているようなものです。過去を探っていくと癒やすためのヒントが見つかります。

余談ですが、私の中では私の両親は人生の始まりに目にした憧れのカップルです。まだ二人は死に瀕していませんが、二人に残された時間は数十年規模ではありません。ラブストーリーの最終章をすてきに描いてほしいなと密かに願う娘でありました。

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