誰が感染しても罪ではない
日本では感染症対策の考え方として「自分が感染していると考えて行動せよ」と指針が示され、それが常識のように行き渡ってます。この行動で感染をここまで抑えられたのでしょう。命令ではなく、罰金もなく、要請という形でここまで自主的に行動できるのだから、日本って律儀で真面目でいい国だなって思います。
先日、これについて「原罪の発想に近い」という指摘をネットで見かけました。
ああー!確かにー。
原罪とはキリスト教の教義ですが、根底に「自分は悪いものを持つ」というのは人類共通の悩みかもしれませんね。そこが人間っぽいところではあるのですけど。ほら、日本文学でも「生まれてすみません」って名言がありましたし。
いや、悪くなんて持ってないから!って私は思うんですよ。
それぞれ一生懸命、精いっぱい生きてますから。
神さまや偉大な存在は人間を断罪したりしないというのが私のイメージです。だから原罪とかそれに似た感覚は人間の想像ではないかと。
だって親が愛する子どもに「あなたは生まれながらにして悪い子」って言いませんよね?
え?言う?えー。。(苦笑
どんな形であれ、自分や誰かを否定することは苦しみを生んでしまいます。
(苦しみは人生の醍醐味でもありますけど。うふふ)
何が言いたいかというと、誰が感染しても罪ではないと思いたいです。
感染したくて感染する人はいないでしょうから。
責めるよりも、助け合わないと。
心が荒んじゃうから。ね。
数日前に初めて東急プラザ渋谷に立ち寄ってみたら・・ほとんど人がいなくてディストピア感が半端なかったです。